2015年4月16日木曜日

哲学的に考えること

「哲学」をという言葉を辞書で引くといくつかの定義がありますが、その中でもサッカーに応用できそうな定義としては「物事を統一的に把握する理念」とありました。

根本的な事象を思考する時、それは哲学的になるのでしょうね。それは一見サッカーや日常には関係ないように思えますが、
その根本的な考えから派生し、それがディテールにも影響して行くようなイメージを僕は持っています。


若い頃(20代)、哲学書を読み漁っていたのですが、そのほとんどが理解できませんでした。何となく分かるんだけど、しっかりと理解できない、または全く分からない、もしくは全く違う解釈をしてしまう。
勿論、哲学者になるために読んでいたわけではないのでそれでいいのかもしれません。

大事なことはそこで「得た知識を、他の事において引用したり、類推できたり、それをベースに新たな考えに論理性を持たせたり」、つまりそれは知的好奇心を持つことや他の事に関連付けて考えることを楽しむツールでもあるのではないかと思っています。

「知」というものがサッカーをよりインテリジェンスなスポーツにし、スポーツとしてのサッカー、興行としてのサッカー、人生におけるサッカー、育成の考え方などを「哲学的に考える」ことで、サッカーの捉え方がより高次な次元に位置づけられるのかもしれません。

「たかがサッカー、されどサッカー」ですかね。

当然、別の意見もあります。
「そんなことごちゃごちゃ考えずに、体をぶつけて、走って、戦うこと」が大事だ。それもあるかもしれません。「いやいや、インテリジェンスも大事だけどフィジカルだよ!」という意見も納得です。
選手やコーチ、サポーターやメディアにはそれぞれ考え方があるので否定することはナンセンスです。

僕の場合は「より知的に考える」ことに挑戦したいと思います。これは僕のキャラクターなので仕方がないですね。僕にとっては「論理的に考えたり、別の分野の考えを引用したり」することが好き(楽しめる)なので、そういうスタンスで行きたいと思います。

きっと、浅はかな知識と、矛盾だらけで統一性のないパッチワーク的な思考になると思いますが、自分のブログを「実験的論考の場」にしたいと思います。
但し、なんでもかんでも深く考えているわけではありません!

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