ほとんどの選手がフットボールを真剣にやればやるほど「挫折」(上手く行かない)ことはつきまとってきます。「何も問題なくすべてが順調」な時期はほとんどありません。
何故なら、試合に出れない選手はそれで挫折し、出ている選手は自分の活躍の度合い、中心選手は勝敗、勝った選手は他チームと、そこには常に競争が存在し常に満足できる状態ではないからです。
今まで試合に出れていたのに急に出れなくなった、ケガをしてプレーできない、後輩に抜かれた、環境に適応できない、新しい選手の加入でポジションが変わった、コンセプトによって自分の良さが出ない、チーム事情で苦手なポジションでプレーしなければならない。
「様々な問題」は「いずれ社会で経験する問題」を小さくしたような感じです。
どのレベルで挫折するかは人それぞれですが、挫折を知るからこそ、次のステップ、もしくは人間的に成長できるのだと思います。
僕は例えプロになれなくても「人間的な成長ができる」からこそ、高いレベルを目指してフットボールをやる意味があると思います。それはなれなかった選手の負け惜しみではなく、何かにチャレンジするという行為は「文化的な活動として普遍的に価値があること」だと思うからです。
育成年代の選手たちが「フットボールを通じて人生に大切なもの学ぶ」のであれば、このスポーツには大きな価値があると思います。
(この発想は日本的かもしれませんが、日本はそういう文化だと思います。)
当然やるからには「高いレベルを目指す」のですが、99.99%の選手がプロにはなれないので、この機会(人生においての長い時間)を有意義にするには、そういう考え(専門性だけでなく、さらにそれを人間教育にも利用するという効率の良さ)が、必要なのではないでしょうか。
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