2015年4月28日火曜日

言葉で考えることの重要性

現在スペインコーチングライセンスの予備授業の中で特に感じるのは「言葉の重要性」です。

日本では曖昧な感じで定義されていたり、細かい部分まで定義されていない言葉が多いことを考えると、スペインではかなり詳細まで定義されている、もしくは、監督の仕事として細かな部分まで定義する、もしくは「語る」必要性が強いのを感じます。

もしサッカーというスポーツが不規則な現象を起こすとしても、それを「論理的」に捉えようとするなら「必ず言葉で語ること」になります。

論理的に体系づけるなら、言葉による構築が必要です。
スペインでは「サッカーというスポーツが体系づけられている」と日々感じています。

また、基本的な定義や解釈は基礎知識としてあっても、それを学んだ後に各コーチ・監督が更に深く掘り下げたり、発展させたりすることが重要であるということ。
それこそが各監督やチームの個性であり、サッカーを進化させる根源ではないでしょうか。


■「言葉で考える」

ある事を理解し説明しようとすると必ず「言葉」というものが必要になってきます。「サッカー言語」を理解し体系を構築するには様々な現象を「言葉で表現する」しかありません。
(オノマトペで感覚的なものを伝えようとする方法もありますが!)

僕が数年考えて来た中に、「人は言葉を超えて思考することはできない」というものがあります。人は必ず「言葉に支配」されていて「言葉の外側を思考することはできない」、もしくは「世界は言葉で思考できる範囲である」、個人レベルでいうと「その人の世界の限界はその人の言葉の限界である」というものです。

サッカーを知るということは「その世界を言葉で構築する」とも考えられます。

そういう意味では現在受けている授業において「言葉の重要性」をひしひしと感じています。


■「曖昧な表現」を失くす

授業中によく「Consiguna」(キーファクター)の話が出るのですが、これを考えるのはとても難しいです。日本ではトレーンニングのキーファクターを語る際に抽象的な表現が使われますが、それはスペインとは全く違います。

例えば、今日の授業にあった「Contra ataque」(カウンター攻撃)。このConsiguna(キーファクター)として例えば
「サポートする選手は最適な幅でサポートする」。
これではすごく曖昧な表現になってしまいます。これでは選手は理解することは難しく、別の表現が求められます。

そういった細かなところまで詳細に言語化することで、曖昧性を省いて、選手により鮮明に伝えることが可能になります。


サッカーにおける様々な言葉を深く掘り下げ定義していくことや、論理的に構築すること、日本にいる時も意識していましたが、スペインに来てますます言葉の重要性を感じています。


様々な「サッカー言語」をどのように捉えるか、ブログで実験的に考察していきたいと思います!

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