来週でバルセロナに来て4週目に突入です。
毎日スペイン語漬けですが、ここにきて少し耳が慣れてきました。
最初はとにかくスペイン語を捉えるのが困難です。例えばニュースや試合後の選手のインタビュー、日常生活でも、簡単な言葉でさえ捉えることができません。
しかし次第に、「音」としては捉えることができるようになり、
単語の意味は知らなくても「何を言ったか。だいたいのスペル」は分かるようになります。
次にその単語を辞書で引けば、何を言ったかが理解できます。そしてその言葉の概念を理解し、次の機会にその単語が使われた時は、以前よりはるかにわかるようになります。
その繰り返しが語彙を増やし、会話に幅を持たせてくれるのだと思います。
スペイン語をマスターする際、第一言語がアルファベットを使っている国の人は有利です。僕ら日本人が中国や台湾に行って「漢字」を見た際に、何となく意味が分かるのと同じで、起源がラテン語の場合にはなんとなく意味が分かるようです。
「言葉が喋れること」はコミュニケーションをする際には不可欠なものです。
しかし、言葉が喋れるだけでは何かが足りません。会話(話している内容)に深さや厚みが出ません。
僕は今、スペイン人家族の中にイタリア人とアメリカ人2人と暮らしていいるのですが、会話の共通言語はスペイン語です。イタリア語はスペイン語と似ているので問題ないようです。アメリカ人のうち一人は母親がポルトガル出身で上手くスペイン語を喋ります。もう一人は僕と同様、すごく苦労しています。しかし、コミュニケーションとは言語のレベルの問題とともに、知識レベルの問題も含んでいるように思えます。
先日、イタリア人とスペイン語が苦手なアメリカ人と3人で夕食後に話す機会がありました。なかなか意思の疎通が図れませんが、お互いの国のことについて話しました。
イタリア人のガヴィは日本の文化や映画、漫画、そして世界のスポーツのことをたくさん知っています。彼の仕事はドクター(医者)で、現在スペインに研修に来ているようです。サブカルチャーだけでなく、芸術や建築といった文化も詳しいので、その日はそれらについていろいろ話しました。
イタリアと言えば、中世後のルネサンス期には世界の先端を行っていました。パースペクティブを発見、用いた建築や絵画。バロック後も、現代芸術を切り開く原因となったキュビスム(ピカソなどと一緒にキリコなど)。僕はフランスのマルセルデュシャンが大好きですが、彼に片言ながら「現代芸術はデュシャンの上に成り立っている」と力説し、彼も納得していたようです。
インターネットを使って画像を見せたりすることでも、何を言わんとしているかが分かるのですが、コミュニケーションとは言語だけの問題ではなく、「主張や考え方、主義、感情など」様々なものを表現することです。そして「言葉」はそれらの方法であり、目的ではありません。
目的は「知識や主義・主張を伝えたいこと」でありそのツールとしてインターネットの画像や言語があります。
そう考えるとどんなに英語やスペイン語が苦手でも「発話」することをためらわなくなります。
スペインに来て感じるのは、スペイン語ができない英語圏の人も堂々と「発話」していることです。
通じようが通じまいがとにかく考えを述べる。ヨーロッパでは言語の違う国が隣接していることが影響しているからかもしれませんが、みな堂々としています。
そう考えると「島国」の日本は少し環境が違いますね。
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